北方領土視察を終えて

 本内容は、視察に参加した筆者個人の学びと所感を記したものであり、勤務校やその他の所属機関の公式見解を示すものではありません。

 小学生から高校生までの青少年が北方領土問題を知り、関心を持つことを目的とした「北方領土青少年等現地視察事業」が、今年も実施された。私は勤務校の引率として初めて参加し、初めて北方領土をこの目で見る機会を得た。避暑地として知られる北海道だが、私たちが訪問した8月7日~9日にかけては、道東も珍しく気温の高い3日間だった。

 初日に訪問した羅臼町では、羅臼国後展望塔から国後島を望んだ。夏は国後島との間に霞がかかることも多いそうだが、この日は晴れた夏空の下、水平線の向こうに国後島の姿をはっきりと見た。他校の生徒たちと「あの山は、爺爺(ちゃちゃ)岳だろうか」と地形を確認し合いながら島を眺めた。その直前には、ご両親が国後島出身の鈴木日出男さんからお話を伺っていた。鈴木さんから、お母さまが「国後島での生活は良かった」と語っていたというお話を伺った。その後に見た国後島は、心理的にとても近くに感じた。だがそこには確かに見えない隔たりがあり、同時にとても遠い場所のようにも感じられた。

 二日目には、標津サーモン科学館と、独特の地形を持つ野付半島を訪れた。ジャンボホタテバーガーと牛乳を味わい、道東の自然だけでなく、その土地の恵みも体感した。午後には、北方四島交流センターの「ニ・ホ・ロ」を見学し、根室高校の北方領土根室研究会の3年生、日浦悠真さんと角冬陽さんによる出前授業を受けた。その日の夕方のふりかえり学習では、「東京に戻ってから、自分たちにできること」について、生徒間で活発な議論が交わされた。北海道内外にて精力的に活動を続ける根室高校の生徒たちの姿は、東京から参加した生徒たちにも大きな刺激を与えていたように思う。

 三日間の訪問を通して、北方四島をめぐる長い歴史を学んだ。アイヌの人々が魚介類などを採取しながら暮らしていた時代、江戸時代以降の日露両国の関係、そして第二次世界大戦末期から戦後、現在にかけて、さまざまな時代を物語る資料を実際に目にしながら学ぶことができた。なかでも、強く心に残ったのは、元島民の方々にとっての「ふるさと」の意味である。高齢化が進む元島民の方々は、島を離れてから、長い年月を経た現在も、故郷の行く末を案じている。また、その想いは、2世・3世の方々にも受け継がれている。新型コロナウイルス感染症の流行やウクライナ侵攻以降、かつてのように故郷の地を訪れることさえ難しくなった。「もう二度と、ふるさとの地を踏むことができないのではないか」その不安や悲しみ、やるせなさが、自分の胸の内に流れ込んでくるようだった。

 引揚げの様子を描いたアニメーション映画を二本観る機会があった。どちらも胸が張り裂けそうで、終始、画面を直視することが難しかった。そこで気が付いたのは、北方領土問題を「過去に起きた領土の問題」としてのみ捉えることはできないということだった。

 原因や歴史的背景は異なるが、福島県には原子力災害によって今もなお故郷で暮らすことのできない人々がいる。さらに、自然災害や都市開発によって、誰もが慣れ親しんだ風景や生活の場を永続的に失う可能性もある。私たちが「ふるさと」と呼ぶ場所が人間に与える力は、日々を生きる活力にもなり、私たちが思う以上に大きい。そしてふるさとの記憶は、そこで実際に暮らした世代だけではなく、まだ見ぬ次の世代へも受け継がれていくのだろう。

 国後島と羅臼町の自然環境は、よく似ているという。しかし、国後島から眺める、夕日に染まる知床連山は、羅臼町から眺める景色とはきっと違うのだろう。島で暮らしていた人たちは、どの風景を見て、何に笑い、何に心を動かされていたのだろう。振り返ってみると、今回の視察では、歴史や領土問題について多くを学んだ一方で、そうした一人ひとりの日常の記憶については、私自身、まだ十分に追体験できていないように感じる。

 今回、根室高校の皆さんから、かつて高校生が元島民への聞き取りを行い、『北方領土 高校生が聞いた202話』としてまとめたことを伺った。1991年に刊行されてから、すでに35年が経っている。もし今、元島民や2世・3世のみなさんに話を聞くとしたら、どのような物語を残したいと思うのだろう。この35年間で社会は変化し、青少年の感性や問題への向き合い方も変化しているはずだ。だからこそ、今の若者の心を揺さぶる「ふるさとの物語」を、今の若者自身の視点から聞き取り、残していくことにも意味があるのではないかと感じた。

 また、北方四島の自然環境やかつての生活を写した写真にもっと目を通してみたい。写真を通じて、当時の暮らしに想いを馳せ、それを青少年が自由に眺め、感じたことを語り合えるような写真展を開催することもできるかもしれない。知識を単に「伝える」だけではなく、一枚の写真や一人の語りから、それぞれが問いを持ち、対話する場を作ることも、次の世代へ記憶をつないでいく一つの方法なのではないだろうか。

 最後に、国家間の問題に対して、一人の人間にできることは小さい。それでも、今回、自分の心の琴線に触れたことを信じて、自分にできることを少しずつ形にしていきたい。

 北方領土を「知った」だけではなく、ふるさととは何か、場所を失うとはどういうことなのか、そしてその記憶を次の世代へどのようにつないでいくのか。そうした問いを持ち帰ることになった三日間だった。このような機会を準備くださったすべての皆さまに、心より感謝申し上げたい。

羅臼国後展望塔から見た国後島

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